2021.02.08

死(喪失)を受け入れるプロセス

私たちは誰しも必ず「死」を経験します。
しかし「死」を迎えるのが突然の人もいれば、病気や老えを通して「死」を少しずつ感じていく人もおり、経験の仕方はさまざまです。精神科医のキューブラ―という医師は「死」について関心を持ち『死ぬ瞬間』という著書も書いています。今回は、キューブラ―が唱えた「死の受容過程」についてご紹介します。
キューブラ―はシカゴ大学で200人以上の終末期の患者と面接を行い、録音、分析をし、「死の受容過程」を発表しました。人が死を先刻されてから受け入れるまでには、5段階のプロセスを経験すると言われています。
自分の生が残りわずかである宣告を受けると、あまりの衝撃に「いや、そんなはずはない」「何かの間違いに違いない」とその事実を否定します。

患者本人は「何か道があるはずだ」と考えますが、周囲は医師の宣告を受け入れ、死の事実を否定する患者を「死を受け入れられていない」と認識するため、考え方が食い違います。周囲は患者にどう接して良いか分からなくなってしまい、会いに来る人や時間が減っていきます。次第に、患者と周囲には距離ができ、患者は孤立していきます。
生が残りわずかという事実を否認しても変わらないので、否認の維持が難しくなってきます。そうすると、「なぜ自分がこんな目に合わなければいけないのか」「なぜあの人は生きているのに自分だけがこうなるのか」と怒りを示すようになります。

看護師や見舞いに来てくれた人に対して羨ましさがあり「まだ生きていられていいね」と皮肉っぽいことを言ったり、「なぜ自分はこんなに苦しんでいるのに、笑っていられるのか」という思いを抱いたりすることがあります。

地位や立場がある人は、これまで築き上げたお金や労力に関係なく、医師の指示のもと今まで通りの生活を送ることが難しくなるので、そのことにも腹を立てることがあります。

怒りは、ますます患者を孤立化させていきます。
信仰のありなしに関わらず、神様に取り引きを持ちかけようとします。「これからはもっといい行いをするから、長く生きられるようにしてください」と願うのです。

この段階は一番短い段階であると言われています。
取り引きをしても、体の悪化を止めることができず、毎日治療を続ける日々に抑うつ感や悲壮感を抱きます。心も体も元気ではなくなってきて、今までよりも静かに過ごすようになります。落ち着くとこれまで頭で理解してた死を受け入れられるようになります。

また、体の健康や仕事など失ったものとマイホームの断念や孫の顔を見られないというこれから失うものに対しても、抑うつ感を抱くようになります。

この段階に入ると、「自分の人生にはどんな意味があったのだろうか」と生の意味を問うようになります。
死と向き合う十分な時間と周りの助けの中で、死は誰しも訪れる自然なことだと受け入れるようになります。否定も怒りも抑うつもなく、かといって幸福というわけでもなく、静かな平穏が訪れます。


死の受容過程は必ずしもすべての段階を通るとは限りません。否定はするけれど、怒りにならずに受容していく人もいます。死は「生の喪失」ですから、死の受容だけでなく、恋人の喪失(失恋)、家族の喪失などが、このプロセスに当てはまる場合もあります。

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